解放区在住氷翠 緑の閃光
【解放区在住氷翠】氷翠のお気楽日記

才能

2020-05-26

はい、氷翠っす。

昔から、野望はあったのだけど、常にその才能がないのを認めてしまう。
そう、最初はね、ヤッターマンになりたかったようなのだ。でも、そんな記憶も今ではないけどね!

次に冒険がしたかったようだ。それこそ、天空に浮かぶ島に行きたかったのだと思う。ラ○ュタみたいなところ?それを絵に書いた記憶はあるw
しかし、それは小学校の頃の話だ。

いつしか、現実味が出てきた。

漫画家になりたいと、絵を描き始めた。そのために美術の授業は真剣に受けていた気がする。当時の美術の先生は今では某町の図書館だかの館長していながら、演劇の脚本を書いているらしいが、まだ現役なのがすごいw
この漫画家になりたいと思ったのが中学校の時だからね、先生は一体何歳なんだろうかとwww
おかげで、漫画を書く道具を揃えて、確か応募までしたんじゃないかと思うが、まぁ今現在そんなことをしてないところを考えると、たとえ応募していても何もなかったんだなと。

しかし、今までを考えると、氷翠は何かを創作するということはずっとしていたようだ。エレクトーンを習っていた頃、自分で作曲もしていたし、一時期は漫画をやめて、小説を書いてみたりもした。

結局、国語すら良い点数ではなかったくらいなので、そう言ったものも途中でやめてしまったんだと思う。
アイデアが浮かばなくなったとか、時間がなくなってきたとか。理由はその時で様々だろうけど、結局才能がないと認めてしまっていた。

パソコンに興味を持ち始めたのは小学校の時だろう。友人の母親が当時「MSX」と呼ばれるテレビにつなげるパソコンでプログラミングをしているのを見ていた。

その後、高校に入るときに、自力でパソコンを購入。えぇ、某紙面に掲載されていた「譲ります」のコーナーにパソコンの中古を…早速電話。で、譲ってもらったのが最初のパソコン。「FM-TOWNS」初のCD-ROMドライブが搭載されたマシンだった。後から聞いた話では、氷翠が連絡するより先にいろんな業者から電話が来ていたそうだ。しかし、これからパソコンに触れる人に譲りたいと思っていたらしく、氷翠が譲り受けた。

そこからパソコンの勉強をし始めた。

当時はプログラミング言語なんて、極端に難しいか、易しいか。もちろんベーシックという言語で勉強していた。本を見てプログラムし、いろんなものを作ったものだ。
しかし、当時のパソコンでできることはかなり限られているので、アプリケーションの開発も間口が狭かったのだ。
それでも氷翠は、学校の同級生とか、先輩とかから色々と教わる。

結局、会社勤めをするようになった後、ネットがようやく普及し始めた頃にWEBに興味を持ち始め、その頃から、WEBサイトを制作していた。制作するという意味では昔からの才能だったのかもしれないが、いろんなことを見てきたからできるのかもしれない。
まぁ、社会人になってからは、WEBのプログラミング一筋で勉強していたから、そのあたりから他のことは一切興味が持てなくなっていたのは事実w

今では一般的な常識すらも危ういほどだ。

とまぁ、氷翠のプログラミングのルーツは「MSX」だった、そして氷翠は環境こそがその人の才能なんじゃないだろうかという話。あとは何に目を向けるのか。

多分、氷翠は今後もプログラミング以外、興味は持てないんだろうなと思う。

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